2章 「異なることに寛容であれ」
2章「異なることに寛容であれ」
国が違えば、考え方や習性、システムの違いに出くわす。
多様性を語るのは大層だし差し出がましいが、
それを感知した際に、否定しないことを当たり前に出来るか。
大学との交渉時。遅々として進まなかったのは自分の型にはまっていたからだ。
彼らの内部でのプロセスを理解できていたか。
どんな考え方に基いているのかをヒアリングしたのか。
当方の意図は正確に伝わったのか。
空港のトラブルで友人が助けに来た時。恥ずかしいと泣かれた。
何となしに交通費を多めに渡したことに怒っていた。
彼にとって”恥ずかしい”とは何だったのか。
なぜ友人なのに気づけなかったのか。
環境緑化でビジネス形態を変えるようオフィスから指示された時。
自分勝手だと憤った私こそ、自己本位でなかったのか。
彼らは何に突き動かされ我々に言い渡しのか。
自己本位? 環境への想い? システムによるもの?
交通渋滞で先方との会議に遅れそうな時。無性に腹が立ってた。
自己弁護の言い訳が頭をたくさん巡る。
事前に渋滞は見込めなかったのか。
先方に早く伝えればよかったのではないか。
到着後謝ると、良くあることだから気にしないでとあっけらかん。
僕の抱いたいらいらの感情に意味はあったのか。
気付いたことがある。インドだから生じることではなく、
日本でも当たり前のように「異なること」を拒否してた。
いや、同じだからこそ、あの人は変だ、分かってないんだ、って
自然に違いを受け止めていなかった。
その癖は簡単に抜けなくて今でも時々出るけれど
大変に思えることが起こっても
目を背けたくなるようなそれを仕方なしに受け入れるよ、と
まずじっくり理解してみると
何とかなることが経験として分かってきた。
最適な選択は、受け入れることから始まるのだ。
だから、誰かや状況のせいにするより
君の思考が目の前の世界を創ることを意識しよう。
どうか、異なることに寛容で居てほしい。
それが、きっとうまくいく秘訣。